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神農本草経

執筆者の写真: Tomokazu IchikuraTomokazu Ichikura

いまに伝わる東洋医学の原典に、3つの書物があります。

長江文化圏で書かれた薬物学についての『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』、黄河文化圏で書かれた医学理論と鍼灸についての『黄帝内経(こいうていだいけい)』、江南文化圏で書かれた漢方の処方についての『張仲景方(ちょうちゅうけいほう)』(『傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)』とも『金匱要略(きんきようりゃく)』とも言われる)です。

今回は、そのうちの一つである『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』について紹介します。書いたのは神農(しんのう)という中国古代の三皇(さんこう)の一人とされています。(あとの二人は、黄帝(こうてい)と易(えき)をつくった伏羲(ふくぎ、ふっき、ふぎ)


神農は医薬の神でもありますが、農具をつくり、代表的な主食である米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)、(ひえ)のいわゆる「五穀(ごこく)」を広めたとされ、農耕、商業の神としても知られています。東京・御茶ノ水にある湯島聖堂や大阪・堺市の薬祖神社(やくそじんじゃ)(少彦名神社(すくなひこなじんじゃ))で「神農祭(しんのうさい)」が行われています。


現在でも通用している理論が書かれていた原本は、後漢(1~2世紀)に書かれたもので、漢方の生薬の一つ一つを、不老不死の神仙思想(しんせんしそう)から解説してます。1年の日にちと同じ365種の漢方薬(動物、植物、鉱物)を、天神地の三才説にあてはめ、無毒で養命(ようめい)の上薬120種、ちょっと毒ありの体力を養う(養性(ようせい))の中薬120種、毒ありだが病気を治す(治病(ちびょう))の下薬125種に分類しています。百草を自ら確かめ、1日に72もの毒にあたったものの、お茶で解毒したとあります。ゆえに、「喫茶の祖」とも言われています。

そして、驚くべきことに、薬物を配合するにあたり、儒家思想(じゅかしそう)を反映させた君(くん)・臣(しん)・佐使(さし)というメインからサポートまで3段階に分け、七情(しちじょう)という生薬同士の助け合いとか、打ち消し合い等の7つの作用までわかっていたことです。


日本に伝わったのは、陶弘景が編纂しなおした『神農本草経集注(しんのうほんぞうきょうしゅうちゅう)(本草集注(ほんぞうしゅうちゅう))』で、奈良・橿原市(かしはらし)の藤原宮(ふじわらのみや)(694~710年)跡から木簡(もっかん)が見つかっています。


〈参考〉漢方ポケット図鑑 源草社 宮原 桂

    真柳誠「『神農本草経』の問題」『斯文』119号92-117頁、2010年4月25日

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